東京大学きらら同好会

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「前作主人公」類型について

はじめに

東京大学きらら同好会 Advent Calendar 2022

この記事は東京大学きらら同好会 Advent Calendar 2022の21日目の記事です.

20日目の記事はナン氏の「わたしときららファンタジア (Long ver.)」でした.

22日目の記事はhaxibami氏の「何らか(何らか)」です.

導入

主人公の変化・成長を描く作品において,その成長の道標となる「前作主人公」が描かれることは,ハッピーエンドを期待させる安心感を読み手に与える.また,主人公はこれ以上なく自然にその方向にそって成長していくことになる.人は人の背中を見て成長する.

このツイートの前提と実例を簡単に説明して記事とします(投げやり).

自己紹介

このブログでは初めまして.🌱🌿☘️🍀(@cm_ayf, @cm-ayf)と申します.あなたが感じた通りに読んでください (Call Me As You Feel) . 普段はVSCode上でCopilotと戯れてお金を稼ぎつつ,学業から目を逸らしています. きらら同好会員としては,ゆるキャン△・ぼっち・ざ・ろっく!くらいしか履修していないミーハー枠です.ぼざろは原作もまだ入手していない.

内容

「前作主人公」とは

まず「前作主人公」についてです.ここでいう「前作主人公」は,鉤括弧がついていることから分かる通り,シリーズ作品の前作の主人公を意味するわけではありません,概ね「主人公がこの物語の中で成長した先の姿に近い登場人物」といった意味で使っています.「前作」とあることから物語が完結し成長の道筋を歩き切ったということを示唆している,この表現を用いています.
そもそもこの表現はマイナーなのでしょうか? よくわかりません.

その実例として,ぼっち・ざ・ろっく!に登場する廣井きくりは最も典型的だと考えます.高校までは根暗だった,でも(このままでは)将来がつまらないからと一念発起した,とアニメ10話で話しており,この境遇には(当然)主人公のぼっちと非常に近しいものがあります.
他の例として,難しいところですが.「君の名は。」の宮水一葉が挙げられます.主人公の片割れである三葉と同じような物語を辿ったということが示唆されていたと記憶しています.

「前作主人公」が物語に与える影響

このような「前作主人公」が物語に与える影響として,ツイートでは2つ挙げました.

まず1つ,「ハッピーエンドを期待させる安心感を読み手に与える」ことです.類似する物語がその主人公の成長とともにちゃんと完結を迎えたということを示唆する「前作主人公」は,我々がまさに今読んでいる物語についても似たような結末を迎えられるだろうことを予感させます.
作者としては当然,主人公と「前作主人公」の物語の類似度や,「前作主人公」の物語の開示度合いはよく調整する必要があります.しかし,うまく構成すれば,読み手はこれからの物語に対する期待を抱きつつどこか安心した気持ちで作品を受容することができます.

次に,「主人公はこれ以上なく自然にその方向にそって成長していくことになる」ことです.ツイートでは「人は人の背中を見て成長する」と付け足していますが,これには2つの側面があります.
片方は,主人公が「前作主人公」を先達だと気付いた上で,その背中を意図的に(ないし深層心理で)追いかけるという側面.ツイートした通り,人は人の背中を見て成長するのです.
もう片方は,「前作主人公」が主人公に行先をアドバイスする側面.「前作主人公」は主人公に少なからず共感を覚えるものだと思います.その上で,関係性にもよりますが,たびたびアドバイスをするというのは自然なことです.
少しメタ的な言い方をしますと,このような「前作主人公」がいると主人公の成長を制御しやすい,とも言えるかもしれません.

さらに,執筆時点でもう1つの論点を思いついたので挙げておきます.いわゆる「しくじり先生」としての役回りです.
過去に似たような境遇に立たされた「前作主人公」が,本人なりに失敗してしまったという類型もあるかと思います.この場合も,1点目の物語の類似度の調整がうまくいくこと,2点目のアドバイスが説得力を持つことから,構成に大きな影響を与えます.

「前作主人公」ときらら

さて,きらら同好会アドベントカレンダーですのできららの話をします.
いわゆる「日常系」と言われるきらら作品ですが,私はこのような作品において「この先はどんなプロットが待ち構えているんだ……!?」とハラハラさせられることはあまり望んでいません.進撃の巨人とか呪術廻戦とかみたいなのは御免です.その意味で,「ハッピーエンドを期待させる安心感」という点では「前作主人公」は有利に働くように見えます.
しかしながら,「日常系」と呼ばれる所以として,明確な終わりが存在しないということはやはり挙げられるのではないでしょうか.これは,終わった物語の成果物である「前作主人公」が存在することとは矛盾します.そのため,「前作主人公」は「日常系」作品に登場することは難しいです.上で例として提示したぼっち・ざ・ろっく!は,きらら作品の中でも主人公の成長すべき姿が比較的強い像を結んでおり,「前作主人公」と相性が良いから,廣井きくりが現れたのだと考えています.

最後に

はい.ぼざろ10話を見て勢いで書きました.推敲も後悔もしていません.異論は認める.