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【よんこま文化祭2022】スフィンクスの試練 解答遅報(きらら大・まちカドまぞく学科)【全文】

こんにちは、500mLと申します。東京大学きらら同好会の会長をさせていただいております。

先日ツイッターにて、まちカドまぞく最新話に登場した世界史大論述(ある地域や時代を600文字程度と多めの分量で論じさせる、東大世界史の名物問題)を誰かやっていないかといったツイートがあり、同好会内でも話題となっておりました。ちょうどよんこま文化祭に新しい頒布物が欲しかったので、ペーパーにして配ることになりました。

私自身は世界史選択ではないので、haxibamiさん、kn1chtさんに手伝っていただきました。ぜひ解答例・解説をチェックしてください。



1 足の本数に関するなぞなぞ

略。

2 エジプト文明の成立に関するなぞなぞ

■ 問題文 ■

本来狩猟採集生活をしていたホモ・サピエンス(いわゆる人類)が今日の繁栄を築くに当たり、非常に重要なきっかけとなったのが、今から1万年ほど前に世界各地で始まった農耕・牧畜への移行である。
ナイル川流域で小規模な農耕が始まった紀元前7000年頃からの急速な人口の増加と定住化、それに伴って人類がエジプトで巨大文明を築いていく過程を、以下の言葉を必ず使って600文字で概観せよ。


語群
ナイル川 集落 氾濫 太陽暦 小麦 税 社会階層

■ 解答例 ■

砂漠気候に属するエジプトは降水が少なく、古来よりナイル川の水に依存した灌漑農業が営まれてきた。同川は季節性の氾濫を起こすことで知られ、この氾濫は乾燥地帯特有の土壌の塩性化を抑止するとともに、栄養分を含んだ土砂を定期供給する役割をもっていた。このため、氾濫の時期を予測することは地域における第一の課題であった。この役割を担ったのが、宗教的背景から天文観測の技術を得ていた神官たちである。彼らによって制定された太陽暦は農業生産を安定化させ、宗教的権威を支えた。一方、灌漑設備の維持管理も多大な労力を要した。人々は集落をこえて共同体を形成するようになり、共同体の拡大に伴ってこれを統制する権力も集中し、王権の原型となった。やがて二つの権威は習合し、古王国の成立につながる。これと並行して進んだのが経済・人口規模の拡大である。灌漑農業の高い生産性は大量の余剰生産物とその蓄積を生み出した。地域の主要作物が保存に適した小麦であったことも、この傾向を後押しした。安定した食料生産を背景に人口規模は拡大し、都市が形成された。また余剰分は前述の王や神官に徴され、行政組織の基盤となった。さらに財の蓄積・取引は富を偏在させ、社会階層の分化を加速させた。こうして都市住民=非農耕階級が誕生し、社会の分業化が進むと、文化・技術水準も発展した。このようにして、高度に組織化された巨大文明が誕生した。(594文字)

■ 解説 ■

古代エジプト文明の発祥から、王朝や社会制度の発展までの流れの理解を問う設問。問題文では狩猟・採集から農耕・牧畜への移行が言及される一方で、指定語句には農耕開始以後の社会発展に関する単語が多く指定されている。どちらを中心に構成するか迷うものの、指定語句を踏まえて後者の流れを論じればよいだろう。解答案では全体として流れが繋がるよう、地域の特性が農業技術や暦法の発展、そして共同体の権力集中を促した経緯と、経済発展を背景に徴税制度が確立し、階層社会が形成されていった経緯をそれぞれ述べた。

このトピック最大の魅力は、高度な農耕技術を獲得し、記録に残る文明を早期に打ち立てたのが、自然の恩恵を受けやすい湿潤地域ではなく、自然の脅威に晒される半乾燥地域であったという逆説だ。似た例として、「樹上生活を送っていたヒトの先祖が、より強力なサルに樹上を追い出され、負け組として直立二足歩行を開始したことから我々の文明が始まった」という仮説があり、ある種の共通点——人類の大きな進歩は、恵まれた環境ではなく厳しい環境でこそ生じる——を滲ませている。