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【新歓】「妄想アカデミズム」にかこつけてε-δ論法の話をする

東大きらら同好会のK. 汝水(@tactfully28)です。

きらら本誌で連載中の「妄想アカデミズム」、皆さん読んでいらっしゃいますでしょうか。檜山ユキ先生の妄想アカデミズムは、高校2年生の主人公・湯島未春が片想い相手の室町莉子とともに東大合格を目指すというお話です。ニコニコ静画のきららベースなら無料で読めます。

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以前からディープな受験ネタが際立つ作品でしたが、4月7日発売のきらら5月号に掲載された9話ではついにε-δ論法*1が登場し、話題を呼びました。というのも、ε-δ論法は「ディープな受験ネタ」では済まされない、学習指導要領の範囲を明らかに超える内容だったからです。ちょっと言及されるだけかと思いきや、ガッツリとページを割いて扱われた9話の本筋の内容だったため、私は度肝を抜かれました*2

というわけで、今回は妄想アカデミズムにかこつけてε-δ論法の話をしていきます。

「妄想アカデミズム」の作中でも述べられているように、ε-δ論法*3は有限の数だけを用いて極限を厳密に定義する方法です。例えば、関数がx=aで連続であること

ε-δ論法では

のように定義されます。厳つい見た目ですね。この意味に関しては、各種参考書*4なり、ヨビノリなり、きらら5月号掲載の妄想アカデミズム9話なりを参考にしてもらうことにして、ここでは省略します。
δはεに依存してよいということに注意しつつ、線が繋がっているグラフと線が繋がっていないグラフで図を描いて検証してもらえれば感覚が掴めるかと思います。

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実数の集合ℝの要素は無限にたくさんありますが、ℝを構成する各実数はどれをとっても有限の大きさしかありません。「∞」はℝに入れないということです。
ℝは有限の大きさしかない"実数"を集めたものであるにも関わらず、ε-δ論法では極限がℝの世界の操作に落とし込まれています。これにより、極限の定義から「無限」の概念の曖昧さが排除されるのです。

ε-δ論法を大学初年時に扱わない大学も多いようですが、東大では理系一年生の必修科目の学習内容に含まれています。それも入学したばかりの4〜5月に教わるため、その恐ろしい見た目が多くの一年生を震え上がらせてしまうようです。
慣れてしまった身からすると過剰に怖がられている気もするのですが、一方で拒絶したくなる気持ちも分かります。大学入学当初の私も得体の知れない式に感じていたからです。

ε-δ論法に拒否感を示してしまうのは、ε-δ論法で何がやりたいのかわからないという面もあると思っています。マメな性格で知られる吉野ゆうは次のように述べ、「極限」は「限りなく近づくこと」という認識で十分だとの立場を示しました。

「問題が解ければ別に良くない?」 ーー 吉野ゆう

(檜山ユキ(2023)「妄想アカデミズム 第9話」より引用)

吉野氏が主張した通り、高校数学の問題を解く上でε-δ論法が必要になることはありません*5。かつての私も、こんな得体の知れない記号を持ち出してまで極限を厳密に定義する意味はあるのだろうかというモヤモヤを抱えたまま、わけもわからず勉強をしていました。
そこで、ε-δ論法が後の学習内容とどのように繋がっているのか、ここで説明しておきましょう。

(1) 極限の基本的な性質

ε-δ論法がすぐに役立つ場面として、極限の基本的な性質の証明があります。たとえば、lim f(x) = α かつ lim g(x) = β でα, βが有限のとき、lim (f(x) + g(x))= α + β が成り立ちます。これは高校のときは証明なしに与えられていましたが、ε-δ論法を使えば証明できます。また、「はさみうちの原理」も証明できるようになります。
一方、「lim f(x) = ∞ かつ lim g(x) = ∞ のときlim (f(x) - g(x))= 0 」といった命題は成り立っても良さそうな気がしますが、成り立ちません。極限には直感に反する振る舞いがしばしば見られ、そのために誤った計算をしてしまうこともあります。ε-δ論法を使えば基本性質の拠り所が分かるため、安心して計算を進めていくことができます。

(2) 実数の連続性

公理として導入される「実数の連続性」には、同値な表現が多くあります。これらの同値性を証明するにははさみうちの原理などの極限の基本性質が必要になり、ここでε-δ論法が活きてきます。
大学一年生の微分積分学の中でも5本の指に入るほど重要な定理として「テイラーの定理」というものがありますが、その証明には平均値の定理が必要になります。そして、「平均値の定理」は「最大値最小値の定理」から、「最大値最小値の定理」は「実数の連続性(ボルツァーノワイエルシュトラスの定理)」から証明できます。ε-δ論法があれば、実数の連続性の公理からテイラーの定理に至る過程を飛躍なく理解することができます。

(3) 一様連続とリーマン積分

積分の定義にもε-δ論法が現れます。数学者リーマンが示した定積分の定式化の方法をリーマン積分と言います。リーマン積分の存在からは微分積分学の基本定理が証明されます。基本定理を名乗るだけあって、これも極めて重要な定理です。
ε-δ論法を使えば、「連続」より強い概念として導入される「一様連続」の意味が明確になります。一様連続の定義からは「有界区間上の連続関数は一様連続」という定理が導かれ、「有界区間上の連続関数は一様連続」の定理からはリーマンの方法で定積分がきちんと定まるということが導かれます。このどちらのステップでもε-δ論法が活躍します。

(4) 関数列の収束

関数列の各点収束一様収束も、ε-δ論法で書けば違いがより明確になり、証明に利用しやすくなります。これは極限と積分の順序交換やテイラー展開の正当化に役立ちます。

(5) 大学二年次以降の内容

大学一年次に微分積分学の基礎を学習した後は、微分方程式フーリエ級数展開といった内容を習います。実のところ、実用上重要な

といった作業をするにあたっては、ε-δ論法を意識する必要はほとんどありません。しかし、

  • 微分方程式の解を一つ求めたはいいが、本当に解はこれしかないのだろうか?
  • 形式的にフーリエ級数展開をしたはいいが、この級数は収束して収束先は元の関数に一致しているのだろうか?

といった疑問を抱いたとき、これを解決するにはε-δ論法を避けて通ることはできません。これらは「常微分方程式の解の存在と一意性の定理ピカール=リンデレーフの定理)」 リーマン・ルベーグ補題」などに深く関わる問題で、ε-δ論法がこれらの定理の基礎になっているからです。
また、位相空間論では連続写像を開集合を用いて定義しますが、これが今までの連続の概念の拡張になっていることはε-δ論法なしに理解できないでしょう。

[参考] 開集合による連続の定義

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というわけで、ε-δ論法の話をしてきました。結局何が言いたかったのかというと、妄想アカデミズムを読んでくださいということです。妄想アカデミズムは受験ネタも面白いのですが、各キャラの関係もいいですし、妄想癖設定の活かし方もよく、そして紙面の使い方もいいです。おっとり且つ飄々とした性格の三四一葉もかなりいいキャラしています。総合的に言って妄想アカデミズムはとてもよく、最高です。秋頃には単行本が発売になると思います。本当にいいのでよろしくお願いします。

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4月の間、東大きらら同好会では新歓として様々な企画を実施しています。きら同の会長も東大きらら同好会はゆるふわサークルだと言っていたので、気軽に入れるサークルなのだと思います。妄想アカデミズムが好きな方はもちろん、それ以外のきららが好きだ、という方も大歓迎です。

それでは。

参考文献

*1:εはイプシロン、δはデルタと読みます。横棒はマイナスではなくハイフンで、読みません。

*2:こんなことをすると説明的な学習漫画になりかねないところですが、きちんと読んでいて楽しいきららに仕上がっているのがすごいところです。檜山ユキ先生のバランス感覚とネタのキレには毎話驚かされます。

*3:数列の場合はε-N論法といいます。本稿では特に区別しません。

*4:私は田崎晴明先生が無料で公開されているpdf「数学: 物理を学び楽しむために」の2.2節「数と数列」で勉強しました。ε-N論法での説明ではありますが、ε-δ論法と本質は変わりません。掛け合い漫才に喩えることで気持ちが分かりやすく書かれているなと思っています。

*5:大学数学の問題でも、ε-δなしで解けるものがたくさんあります。個人的には、ε-δ論法なんてやらずに微分方程式や多変数関数の微積分やテイラー展開フーリエ変換ラプラス変換の計算練習をノリとパッションでやっていく授業の方を大学一年時に受けたかった、とすら思います。